-
歴史上の偉人も数多く通った浜の道
泉南市内には歴史的に重要な五つの街道が走っています。 2つ目の街道としてご紹介するのは「浜街道」です。江戸時代、大坂と和歌山とをつなぐ、紀州街道のうち、鶴原(泉佐野市)で分岐し、海岸沿いに進むルートがこの街道でした。孝子(きょうし)道」としても知られています。一時は、紀伊藩主および家中の往来などの通行量が信達を通る熊野街道(小栗街道)よりも多かったようです。
-
後鳥羽上皇が愛した魚がいた!
里外神社(りげじんじゃ)は、仁徳天皇(在位313-399年)の代に呉服(くれは)大明神を産土神として創立された社です。呉服大明神は、大阪池田市の呉服神社(くれはじんじゃ)に祀られている事でも知られている、呉の国から渡来し日本に機織(はたおり)技術を伝えたとされる織姫で、「機織」の守り神として崇敬されています。 また、境内に残る王餘魚淵(かれいがぶち)には、後鳥羽上皇に献上した「岡田ガレイ」が飼育されていたといわれています。現在のご祭神は素戔嗚尊(スサノオのミコト)です。
-
境内でゆったりと癒しのひとときを。
集落の中にある緑の多い落ち着いた境内です。創建年・由緒は不明ですが、ご祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、又の御名を豊受姫之大神。食べ物を掌る神であり、住居の守り・商工業の守護神で、伊勢神宮の外宮にお祀りされている御祭神と同神です。
-
村の生活に根づいた煉瓦
鳴滝地区には、三和煉瓦製造所があり、昭和47年に廃業するまで煉瓦製造が盛んでした。地元の村民はほどんどが副業として煉瓦作りに携わっており、当時が偲ばれる煉瓦遺構が地区のあちこちに残っています。写真は、三和煉瓦製造所のお稲荷さんです。台座には自社製の赤煉瓦、参道には自社工場にあった「輪環(ホフマン)窯」の部材が使われているそうです。
-
江戸時代の豪農屋敷・登録有形文化財
山田家住宅は、代々、庄屋職を務めた江戸時代からの豪農で村高1,600石を誇りました。泉南地域の数少ない豪農屋敷構えの構造が良く保存されていることから、平成14年には国の登録有形文化財に認定されました。現在では、毎月第4日曜日を一般公開日としています。
-
重要文化財の出土品で古代の大寺院を体感!
白鳳時代の大寺院「海会寺」跡に隣接し、史跡から発掘された出土品を展示しています。出土遺物のうち302点が国重要文化財に指定されており、2階の常設展示室では海会寺の出土品を中心に文化遺産の情報を発信しています。また、歴史関連図書やビデオなどを自由に閲覧できる図書情報コーナーが利用できます。お土産にグッズも購入できます。
-
神武天皇ゆかりの里
男里の天神の森から樽井小学校付近一帯は山之井水門と伝えられ、「日本書記」によると、神武天皇の兄の五瀬命が矢傷を受け、無念のあまり叫んだところとされており、記念碑と玉垣を中心に遺跡公園となっています。男里にも遺跡碑が建立されています。
-
大正の香りが残る煉瓦カフェ
赤煉瓦「Rui」 大正時代に建てられた紡績工場跡です。大正時代に西野紋羽として創業し、その後西野紡績に名前を変えた紡績会社の工場だった建物です。 当時の面影を色濃く残したまま、現在はお洒落なカフェ兼インテリア雑貨ショップとして営業しており、コンサートやアート展などのイベントにも活用されています。
-
弘法大師に出会えるかも!?
浜街道(孝子越え街道)の樽井から、弘法大師の像がある林昌寺まで、野中を行く道が大師道で、昔は弘法大師信仰の道として親しまれてきました。 初秋には黄金の稲穂に赤い曼珠沙華と鮮やかなコントラストを楽しめる風景が広がります。
-
信長の道
信達市場から男里を通り、鳥取荘(阪南市)にいたる、全長5.5kmの道です。織田信長の紀州雑賀攻めに際し整備されたのでこの名で呼ばれています。
-
風吹峠を越えて紀州へ
信達から紀州根来までの全長17kmの道です。根来街道は樽井を起点とし、信達から風吹峠を越え紀州街道まで続きますが、その起点の碑が樽井にあります。浜街道と根来街道の交差点にあるこの碑には1839年の銘が記され、下記のとおりの道標が残っています。 (正面)「すぐ大川左紀州いせきこえ」 (南面)「右大坂」 (北面)「すぐ大坂」 (裏面)「天保十巳亥年十月吉日」
-
紀州公の愛した宿
参勤交代の折に紀州徳川家が泊まった本陣です。紀州街道は、紀州藩と岸和田藩の参勤交代路として整備され、紀州徳川家の参勤交代は、この角谷(つのや)家本陣で一泊することが習わしとなっていました。 紀州公ゆかりの調度品や、八代将軍吉宗の紀州藩時代の宿札、約1,500人とも伝わる大名行列の宿割をはじめとして当時の様子がうかがえる貴重な古文書も多く保存されています。写真は当時の勝手門で、右手の2階建ての蔵の部分に、人足(にんそく)の手配や荷物の継ぎたてをする人馬問屋が置かれていました。
-
熊野詣のメインルート
泉南市には歴史的に重要な5つの街道があります。ひとつめは熊野街道です。 中世には京の都から熊野三山へ詣でる「熊野街道」の宿場として、そして江戸時代には参勤交代の宿駅「信達宿」として発展してきたのが信達の地域です。 信達大苗代、市場、牧野の街並みは、今も当時の面影を強く残しています。
-
信達宿の4万房の藤
古い街並みが残る熊野街道にある梶本さんのお宅では、樹齢30年を超える1本の野田藤が毎年4万房もの花房をつけます。藤が満開を迎える毎年4月には「藤まつり」が開催され、その時には垂れ下がる藤を見上げるだけでなく、上から藤の花房を見渡すことができます。信達宿は、熊野街道沿いの宿場町であり、梶本家は屋号を「油新(ゆうしん)」という、油類を商いながらの旅籠でした。