スポット紹介

恋するせんなん

光平寺は、発掘調査によって、その創建は平安時代後期まで遡ると考えられる寺院です。戦国時代は根来寺の末寺として広大な寺域を有していましたが、天正年間、信長・秀吉の紀州攻めの際焼失し、その後再建されたと伝わります。明治時代の神仏分離令までは男神社(おのじんじゃ)の神宮寺でもありました。緑の寺庭の奥に静かに佇む南北朝時代の五輪塔は泉南市の歴史を語る上で貴重な文化遺産です。

スポットの魅力

南朝の年号が彫られた石造五輪塔(大阪府指定文化財)

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光平寺の五輪塔は、和泉砂岩でつくられた、総高約2.15mの立派なものです。
五輪塔は、供養塔や墓標として造立されることが多かった仏塔のひとつで、形の異なる5つの部分から成り、上から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれ、それぞれ仏教における万物を構成する要素をあらわしています。
地輪の左右には、『正平(しょうへい)二十四年十月十三日』、『為法界衆生願主?圓』と刻まれ、南北朝時代の正平(南朝の年号)24(1369)年に、戦乱等で亡くなった縁なき多くの人々の供養塔として建てられたもののようです。この頃は、泉南地域でも南朝と北朝の争いが激しかった時代でした。
泉南の歴史を知るうえで貴重な文化財であることから、昭和52(1977)年に「大阪府指定建造物(文化財)」に指定されています。

平安~戦国~明治ヘ

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昭和52(1977)年、近隣での発掘調査により、平安時代後期から鎌倉時代の軒丸瓦などがまとまって見つかりました。出土品の中でも仏像文軒丸瓦は、和泉国の中世軒丸瓦として特徴的なものです。これらの瓦から、本寺の創建は平安後期まで遡れると考えられ、また寺域は現在よりもはるかに広大であったと推測されています。戦国時代、根来寺の勢力が和泉まで進出し、隆盛を極めたものの、天正年間、信長・秀吉の紀州攻めにより焼失し、その後再建されたと伝わります。現在は、高野山真言宗の寺院となっています。

毎月第1日曜日に開寺

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現在、毎月第1日曜日10時~16時に開寺されます。ご本尊の大日如来におまいりし、御朱印もいただけます。ただし、事前に問い合わせが必要ですのでご注意ください。

基本情報

スポット名 高野山真言宗大御堂山 光平寺
住所 泉南市男里3丁目5−26
電話番号 072-483-4754(非通知でかけられると出られません)
時間 毎月第1日曜日10時~16時のみ参拝可(要事前問合せ)
駐車場 有り(要事前問合せ)
アクセス 南海本線樽井駅から徒歩約23分
備考

泉南市ウェブサイト
光平寺の石造五輪塔 

 

参考)
1. 谷 美光(1989)『おのさと 第三集』 泉南歴史民俗資料社
2. 泉南市史編纂委員会(1987)『泉南市史(通史編)』泉南市
3. 泉南市史編纂委員会(1982)『泉南市史(史料編)』泉南市

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