スポット紹介

恋するせんなん

江戸末期の名工「奈良利」の傑作・石造りの「天水桝(てんすいます)」があることで知られています。
寺伝によると、創建は明応3(1494)年。戦国時代には、泉州に勢力を伸ばしてきた根来寺と手を結び、深い掘割(ほりわり)をつくり、寺を城郭化、「城屋敷」や「城の谷」と呼ばれていたと伝わります。今も一部残る当時の掘割がその時代を物語ります。その後、天正5(1577)年、織田信長の紀州攻めにより樽井にも兵火が及び全焼したとのことです。

スポットの魅力

密教の意匠「大法輪」

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信長の紀州攻めで全焼したのち、江戸時代前期、寛永12(1635) 年に再興され、本願寺の良如上人(りょうにょしょうにん)により木仏と「専徳寺」の寺号を贈られたと伝わります。 現在も、浄土真宗の寺院ですが、宝永5年(1708年)に旧山門の部位を利用し再建したと伝わる山門の蟇股(かえるまた)には、密教の意匠である「大法輪(だいほうりん)」が残っており、元は真言宗の寺院であったことがわかります。近年大修理がなされた本堂も同時期の建築であると考えられています。

江戸時代の名工・奈良利の「天水桝」

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江戸時代末期「石の左甚五郎(ひだりじんごろう)」と賞賛された地元の名工・奈良利こと奈良(屋)利兵衛の手になる一対の天水桝が本堂の両端に残ります。本堂からの雨水を受ける大きな石造りの桝で、その4つの角を力士が支える造りになっています。計八体の力士像は、それぞれポーズも表情も異なりますが、重い石桝を支える筋肉の張りや懸命な表情など、生き生きと生命力に満ちた表現が江戸時代の空気を今に伝えるかのような見事な造形です。
「樽井町誌」によると、当時から奈良利の名は大阪や京都にも広く知られており、「いたら見てこい、専徳寺の天水」と評判を呼んだとのことです。

波乱の歴史を乗り越えて、江戸時代、学寮には各地から入寮者が

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江戸中期からの国学の勃興(ぼっこう)を受けて、地方における学問が隆盛になり、天保12(1841)年には、専徳寺でも仏教を教える仏教学寮「雄浜舎(ゆうひんしゃ)」が開学しました。当時作成された入寮者の規則(盟約)が残っており、そのあと書きには、入寮者の出身地が、北陸から九州まで広域にわたっていたことが記されています。当時におけるこの地の先進性がうかがえるようです。

煉瓦(れんが)の敷石

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山門と境内の一部の敷石は、なんと煉瓦です。明治以降、樽井では煉瓦製造が盛んでした。現在も、煉瓦建の紡績工場跡、現役の煉瓦建工場、寺院の敷石、民家の塀など、まちのあちらこちらに煉瓦の建築物が残っています。戦国時代から近代まで、この地が辿った歴史が凝縮されているような貴重なスポットです。

基本情報

スポット名 浄土真宗 本願寺派 城国山 専徳寺
住所 泉南市樽井5-20-1
電話番号 072-482-8844
駐車場 有り(10台)
アクセス 【電車】南海本線「樽井駅」 徒歩約8分
備考

(参考)
西田七之助『樽井町誌(復刻版)』(『樽井町誌』復刻委員会、2000年)初出は1955年。
『泉南市史(通史編)』(泉南市、1987年)

『泉南市の神社・仏閣』(泉南中央ライオンズクラブ、1997年)

 

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