3月18日(日)、泉南市全域をフィールドに恋するせんなんロゲイニング2018が開催される。当日配布される地図とチェックポイント一覧を手に、チームでそれぞれルートを決めてチェックポイントをできるだけ多くまわり、訪れた証明としてチーム全員(撮影者除く)で写真を撮り、各ポイントに配点された点数の合計を競うゲームだ。

 今年は5時間コースに加えて、ファミリー層も参加しやすい3時間コースも設定されている。ひとひねりした面白い風景のチェックポイントも設定されているので、地元にも意外と知らなかった場所があるのに気づくかもしれない。今年は泉南市観光協会が作成した「観光マップ」も進呈される。まちの魅力を再発見するいい機会ではないだろうか。

 さて、当日の集合場所は、南海樽井駅から徒歩3分、樽井公民館だ。足に自信があれば優勝を狙って高得点が配点された遠くのスポットに直行するのもありだが、そうでなければ、複数設定される「飛び賞」があたりますようにと念じながら、近くの樽井のまちをチェックポイントを捜してぶらぶらとたどっていくのも楽しいかもしれない。七坂のまち・樽井は、現在は静かな住宅地だが、長い繁栄の歴史がある。初訪の方の多少の参考になるだろうか。チェックポイントに指定されているかどうかは別として、私の気になるスポットをいくつか挙げてみたい。

 まずは、「茅渟神」。その名の「チヌ」は、大阪湾の古名にもつながるが、クロダイのことでもある。大漁祈願の神社として、釣り番組を機に全国から釣りファンが訪れるようになった。最近では、魚のデザインのお守りや、海をイメージした籠から釣り上げる魚の形のおみくじは、「入学試験にお“ちぬ”、人生・勝負にお“ちぬ”」勝守りとしても人気だ。ゲームの必勝祈願に、まず参拝されてはいかがだろうか。

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 「茅渟神社」から海のほうに少し歩くと、江戸時代、酒造業・廻船業で富を築いた豪商・深見仁右衛門が、屋敷から浜まで一直線に造った「仁右衛門坂」がある。ここはぜひ上から見下ろしてほしい。当時とは大きく景観がかわったとはいえ、青く広がる空を背景に一直線に海のほうまで続く坂は壮観で、8棟の蔵から積荷を一杯載せて一気に浜まで駆け降りる荷車の音や、何人もの人足の掛け声まで聞こえてきそうだ。

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  写真の仁右衛門坂の右手には名字帯刀を許された大庄屋・脇田家(非公開)の邸宅があり、その表の石垣には、珍しい古代アマモの見事な化石がある。わかりにくいが、なんとかさがしてみてほしい。

 仁右衛門坂を降りて左に歩くと、大正時代の煉瓦建築である「赤煉瓦の紡績工場跡Rui」がある。明治以降、樽井を含め泉南市では煉瓦製造や紡績が盛んだった。今も街のあちこちの意外な場所に煉瓦の塀や敷石が残る。この紡績工場跡では、お洒落なカフェrojica(ロジカ)が営業中。カフェ・オーナーこだわりの紅茶とケーキで、歩き疲れた足を休ませるのもいい。

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  ロジカの近くには、紀州への幹線道路のひとつ「浜街道」が通り、歴史情緒溢れる白壁に板塀の立派な日本家屋がいくつも残っている。エクステリアにモダンなデザインを上手に組み合わせた家もあり、住む人の知的なセンスがうかがえて街歩きの楽しさも増す。

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 仁右衛門坂を下らずに茅渟神社から南の方向に歩くと、「専徳寺」があり、こちらには私の”イチオシ”がある。「石の左甚五郎」と異名をとった江戸時代の名工・奈良利こと「奈良利兵衛」が安政年間に作った一対の天水桝だ。

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  「いたら見てこい、専徳寺の天水」と謳われたという奈良利の傑作。地元の施主2人が最初大阪や京都に行き、名だたる石屋を訪ねて注文しようとしたが「樽井には奈良利がいるではないか。私などはとても奈良利には及ばない」と言われ、初めて奈良利の高名を知り、彼に作らせたという逸話が残っている(樽井町誌より)。

 本堂の前に一対の石の桝があり、その四方の角をそれぞれ一人が、計8人の力士が支えている。8人は様々な恰好をしており、非常によくできている。後の時代に造られた泉南市内の天水桝の力士像と比べてみると、その違いは一目瞭然。奈良利兵衛という幕末の石工が、いかに優れた技量を持っていたかがうかがえる。

 懸命に重い石桝を支える力士の筋肉の張り、眉間の皺、額に浮かぶ血管まで見えてきそうな迫力だが、それぞれにポーズの異なる、デフォルメされた力士像を見ていると、北斎漫画の力士をみているような楽しさがある。

  ひたすら耐えて悲しげに天水桝を背負っている力士もいるのだが、私のお気に入りは、本堂に向かって右側にある天水桝の南西の角と北東の角を支えている2体の力士。8体の中で出色の出来だ。他の力士に比べて雨風の影響が少なかったのかもしれない。

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 下手な写真に収めてしまうとそれまでなのだが、光線の角度や強さによって時には笑っているようにも見えるこの2体の力士の表情は、生命力にあふれ、強い意志の力を感じる。見ていると、当時の庶民の生活や息遣い、奈良利という石工の生き様まで見えてくるようだ。気に入った仕事のみ引き受け、それ以外には見向きもしなかったというが、受けた仕事には寝食を忘れて打ち込んだのだろう。その昔、工芸と芸術の境をいとも軽々と越えていった偉大な先人たちのように、奈良利もまた大きな可能性を持った職人だったのではないだろうか。

 このような作品が、静かな樽井の町に、150年以上も、最初に造られた場所にそのままの姿で残っている。守り受け継いできた人々の努力なしではありえない事だが、これもひとつの奇跡のように思える。泉南市内には、江戸時代、明治時代と、各時代の高名なアーティストの作品がいくつか旧家に残っているが、地元の人物が造り地元に残っている作品という点では、かけがえのない宝のひとつだと思う。

 奈良利については、ほかにもその人物像を語る面白い逸話が伝えられており、「樽井町誌」に詳しい。「樽井町誌」は、故西田七之助氏が半年という短期間に一人で仕上げたという計588ページの大作だ。その資料的価値を語れるような見識はとても私にはないが、流れるような美文の風景描写で始まるこの町誌は、筆者のこの地とこの著作への熱い想いが行間に溢れ、また、地元の人物の人間味豊かな逸話も収められており、読み物としても非常に面白いと思う。

 西田氏は、体調がすぐれないのを押して、この大作に打ち込み、完成後時を経ずして亡くなったそうだが、命を削るように綴られたのだろう文章には力があり心に響く。こうした先人たちの想いで受け継がれ残っていくのがその地の歴史であり文化なのだろうとあらためて感じる。

 奈良利の作と伝わる作品は樽井の他の寺社にもあり、それら以外にも多くの気になるスポットがある。何を興味深いと思うかは、ひとそれぞれ。だからこそ面白く新たな発見がある。ぜひあなたにとって魅力的な、「せんなんに恋する」きっかけになるようなスポットを実際に歩いてみつけ、SNS等で発信し、私たちにも教えてほしい。

(文・写真)T.A.

(文中の太字は、各イベント・スポットの紹介ページへのリンクです)

(参考)
西田七之助『樽井町誌(復刻版)』(『樽井町誌』復刻委員会、2000年)初出は1955年。

 

 

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