「泉南アートひすとりっぷ」

泉南市には歴史を語る史跡が点在。遡れば日本の初代天皇「神武天皇」一行が戦い、神武天皇のお兄さんが負傷して雄叫びをあげた場所だったり、織田信長VS雑賀孫一、豊臣秀吉VS根来衆の戦火の舞台であったり、徳川家ご一行の参勤交代時の宿場町だったりと、歴史に名を連ねる有名人が泉南市を訪れています。その中でも、アートとして魅了するスポットをご紹介します!

 

江戸時代にタイムスリップ。当時を偲ぶ家財もたくさん!

「有形文化財 山田家住宅」

庄屋職を務めた江戸時代からの豪農で村高1,600石を誇っていた山田家。泉南地域の数少ない豪農屋敷構えの構造が良く保存されていることから、平成14年に国の登録有形文化財に認定されています。当時の家財がたくさん残されており、屋敷内に一歩足を踏み入れると、江戸時代にやってきたような錯覚にとらわれます。屋敷から見える景色も「芸術」と思ってしまうほどの感慨深い場所ですよ。

 

「庭」

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左側の松の元には先代の松の枯れた切り株がわずかに残り、それを描いたおおらかな筆致の襖絵を背にして眺めるという風雅な仕掛けになっています。

 

「提げお重」

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野外に遊楽に出かける時に持っていったお弁当箱セットのようなものです。重箱と銘々皿、錫の水筒、盆に杯。蒔絵は梨地(金粉を散らした生地)で、繊細で優美な造りです。旅心を誘う水辺の風景は、近江八景のひとつ、琵琶湖の浮御堂でしょうか。裏は、帆掛け舟や漁村がみえる水辺の風景が描かれており、これも琵琶湖かも知れません。

 

「蘭陵王」

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雅楽「蘭陵王」を舞う姿をモチーフとした明治期の彫刻家・加納鉄哉(かのうてっさい)の一刀彫です。蘭陵王は中国・北斉の皇族で勇猛果敢でしたが、あまりにも甘いマスクで男前過ぎて、兵士たちの士気が落ちたり、敵に侮られたりするのをおそれて、獰猛な仮面をつけて出陣したと伝わる伝説の名将でした。雅楽の曲もよく知られており、三島由紀夫の小説や中国のドラマにもなっています。

龍頭をかたどった面をつけたこの陵王は、戦いに挑む緊迫感と気迫、同時に面に隠れた絶世の美貌を想像させるような華やかな優美さがあります。

加納鉄哉は、フェノロサ、岡倉天心とともに、古社寺調査、古美術調査に同行した人物として知られています。明治17年、法隆寺・夢殿の救世観音開闢にも立ち会っていたと、岡倉天心がのちに東京美術学校の日本美術史講義で語っています。フェノロサは、古社寺・古美術調査における、鉄哉の慧眼や協力を賞賛しています。(東京芸術大学 美術学部 近現代美術史・大学史研究センター 東京芸術大学百年史東京美術学校 東京美術学校創立前史)。加納鉄哉は、この古社寺調査が機縁となって美術学校設立準備に参画し始めたそうです。

(山田家は、現在も個人のお宅で、通常は閉まっています。無断で敷地内に立ち入ったりなさらないようにお願いします)

山田家住宅の詳細はコチラ

 

泉南市にも遊園地があった!自然が作り上げたアート

「砂川奇勝」

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南海電鉄にみさき公園、京阪電鉄に枚方パークと、各鉄道会社が遊園地をもって誘客をはかったように、泉南市にも昭和のはじめ、JR阪和線の前身である阪和電鉄が所有し大々的に宣伝した遊園地「砂川遊園」がありました。ボート池やサル山、子ども向けの遊具などがあり人気のスポットでしたが、最大の呼び物が「砂川奇勝」という白い砂岩の丘陵が広がる景勝地でした。今より遥かに大規模で、近くには料亭などもあったようで、遠方からのピクニック客や月見客で賑わっていたそうです。駅名は、当時周辺の地名をとって名づけられるのが普通でしたが、和泉砂川駅の駅名は、PR目的で砂川遊園の名をとって名づけられました。

ちなみに、白い砂岩に雨水で削られた跡が砂が流れる川のように見え、このあたりは「砂川」と呼ばれるようになったようですよ。

宅地開発の波が押し寄せて、今は砂川公園内にのみになってしまいましたが、当時の勇姿を偲ぶには十分な白い奇岩や、バンジージャンプができるくらいの絶壁が残っています。

 

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祠がレンガって、おしゃれ過ぎ!

「煉瓦の祠」

 

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土台から屋根まで全て煉瓦の祠は珍しいですよね。

泉南市には煉瓦工場のあった集落の住民の殆どが副業として、煉瓦工場に生活の糧を求めていた時代もあり、集落の生活に根付いていたのがうかがえます。

昔ながらの日本家屋が立ち並ぶ集落の中で煉瓦の塀や建物、さらには煉瓦の参道が残っているので見つけてみましょう。

 

【場所】泉南市信達市場1943付近

 

 

 

あの巨匠が作庭したモダンアートな寺

「林昌寺」

 

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日本庭園界では知らない人はいない、日本庭園にモダンアートを取り入れたといわれる重森三玲(しげもりみれい)の斬新な庭があるお寺です。

サツキの刈り込みは斜面を巧みに利用して青海波模様を模ったように見え、動きのある造りになっており、さまざまな形をした石が波間に浮かんでいるようにもみえます。もともとあった防火用水を利用したという池は、上からみると不思議な形の池である事がわかります。モダンでありながらも主張しすぎず、周囲の景観と乖離せず静謐な佇まいを乱さない庭には、作庭者の知性とセンスが感じられます。

 

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