岸和田藩ほか6藩を紹介した同誌72号に、「郷蔵を破って米を配布し梟首になった義民・森田小平次」というタイトルのコラムが掲載されています。
江戸時代、1752年、宝暦の大飢饉のさなか、岸和田藩の領民が餓死寸前にまで追い込まれた際、日根郡馬場村(現在の泉南市馬場付近)の村民は、藩に救助米の嘆願をしましたが、叶えられませんでした。その際、村民の窮状をみかね、藩の米蔵を破って近隣の村々に米を配り、その罪を一身に引き受けて処刑されたのが森田小平次です。
187年後の昭和14年、岸和田藩主14代目にあたる岡部長景子爵が、「先祖が過去に犯した罪を謝罪し、森田小平次ならびにその遺族に深謝する」として建てた顕彰碑が、「義民小平次の碑」です。
泉南市馬場にある極楽蜜寺に現在も残る碑の写真(下段写真)も掲載されています。ぜひご覧ください。
掲載誌:週刊ビジュアル江戸三百藩 72号(平成29年2月14日発売)
掲載ページ:26ページ
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「週刊ビジュアル江戸三百藩」
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