平安末期から盛んになった熊野詣。当時は、京都を出発し、船で淀川を下ってきた後、大阪の窪津(八軒家、現在の天満橋)の船着き場から上陸し、その後、陸路大阪を南下し、泉南市、阪南市を通り雄ノ山峠を越えて紀州に入り、紀伊山地の霊場、熊野へと向かいました。平安末期から鎌倉時代にかけては、上皇や貴族が盛んに熊野詣でを行いました。特に、1201年10月に後鳥羽上皇が熊野参詣を行った際には、新古今和歌集の撰者として有名な藤原定家が随行し、その様子を日記「後鳥羽院熊野行幸(ごこう)記」に残しています。その日記には、10月7日に厩戸王子(うまやどのおうじ)に参り、その後、信達宿に宿泊し、その宿所が厩戸御所ということが記されています。その翌日、8日には、信達一之瀬王子に参ったことが記されています。このように信達宿は、上皇をはじめとする王侯貴族が宿泊する場所となっていました。上皇の熊野参詣は、随行の貴族や女官をはじめ数百人もの規模になったそうで、その行列の様は、さぞ優美だったことでしょう。

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 厩戸王子跡

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 信達一之瀬王子跡

 さらに時代を下って江戸時代になると、紀州候の参勤交代のルートになった(1701年以降)ことから紀州街道とも呼ばれるようになりました。そして信達宿は、紀州候の宿泊場所ともなり、本陣跡(角谷家『つのやけ』)が現在も残っています。紀州候の参勤交代は千人を超える規模であったことから、想像しただけでも壮観な様子が目に浮かびます。このように信達宿は長い歴史をもち、大いに栄えました。

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 本陣跡(角谷家)

そして、さらに時代を下り、現在では、故梶本先生(小学校の校長先生だったことから地元ではそう呼ばれています)が丹精込めて育ててきた1本の藤が梶本家を覆い尽くし、4万房もの花をつけ、藤の花が咲く頃にはあたり一面に藤の香りが漂います。当初は梶本先生が近所や支援者の人たちと藤祭りを行っていましたが、梶本先生の願いにより「藤保存会」が発足しました。そして現在では、多くのボランティアの人たちが梶本先生の遺志を継いで藤まつりの運営と藤の世話をしています。近年、新聞やテレビでも取り上げられるようになったことから、市内だけでなく、市外や遠方、海外からも多くの人が訪れるようになりました。

 今年は急に暖かくなったため4月12日の時点でもう5~6分咲きになっています。今週末(14、15日)にはもう見頃を迎えているかもしれません。藤の花は満開の少し前が色も濃く美しく、香りも良いそうです。藤まつりは当初の予定では4月23日から29日でしたが、21、22日の週末までが見頃になるかもしれません。

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 信達宿(梶本家)の藤

 開花状況は藤保存会に直接、お問い合わせ願います。
問合せ先TEL.090-4281-8741(3/1~5/15の期間です)
又は、ホームページ「熊野街道藤保存会」で検索してください。

 (文責 K.H.) 

 

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